プロフィール

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ブログへのご訪問ありがとうございます😄

自己紹介をさせていただきます。管理人のハジメジンと申します。

1980年生まれ。兵庫県の南西部に住んでいます🗾

趣味は神社巡り、カフェ巡り、買い物、料理、プチドライブ、トレーニング、動画視聴、読書、スマホゲーム、サウナです👍

 

占術と出会った10代

幼い頃から趣味は読書でした。黙々と本を読んでいました(^-^;)

10代から占いに興味を持ち始めて、多くの本を買って読んでいたのを覚えています。タロットカードを初めて買ったのもこの頃でした。

一番最初の依頼者はクラスメイト数人。

まだ、携帯電話やインターネットが一般普及する少し前の話です。

みんな、タロットカード占いに興味津々な様子でした。

押しかけ弟子入り

高校卒業後、専門学校に通うため上阪しました。

そこで、タロットカード占いを専業とする人物に出会ったのです。

性格も考え方も自分とはまったく異なる人。それが先生の第一印象でした。

自分にないモノを持つ相手=面白いと感じました。

何度か弟子入り志願→断られる→志願→断られるの繰り返しです。

そのうち、遊びに行くようになり、なし崩し的に弟子入りしました|*´ー`*)ノ|Ю

先生に教わったことは、占いの基本や応用の他に生き方など様々です。

タロットカードの知識は今も常に役立っています。

副業を知った20代

専門学校を出て地元に帰った20代、会社員になりました。

この頃、就職氷河期だったのですが、運良く一回目の面接で採用されました。

地元で書店を数店舗運営している企業の本部での事務職です。

本好きの僕は何度もその企業のお店に通っていたので、不思議なご縁でした。

薄給でしたが、居心地の良い環境で仕事を続けられました。

2年目のある日、会社の年配の方に副業を勧められ、仕入れを開始します。

古物商の方と関わるようになり、自らも古物商を取得しました。

ヤフオク、モバオクに仕入れた商品を出品し始めます。

おそらく、この頃の月収が人生最高だったと思います(;’∀’)

パニック障害になる

28歳で会社を退職しました。

理由はやはり薄給のままであり、業界の将来性がないことです。

ただ、絶妙なタイミングで退職の一ヶ月後、リーマンショックが起こります。

求人数は極端に減ってしまい、一気に就職難になりました。

僕は会社員の頃にしていた副業を専業にすることに決めます。

ヤフオクやモバオクで生計を立てていました。

資格を取得しながら迎えた30代。家電量販店の配送センターで事務をしました。

繁忙期の期間アルバイトで、なかなか忙しかったのを覚えています。

この職場でパニック障害が発症しました。最初はひどい吐き気からです。

内科に行きましたが、不安神経症ではないかと診断されました。

安定剤や吐き気止めを頂いたのですが、症状はあらゆる場面で出続けました。

特に苦しかったのは運転中のパニック発作です。

信号待ちやレジ待ちもすぐに気分が悪くなっていました。

初めての専門医

2013年に心療内科に初めて行ってみました。

そこは予約制ではなかったので、待ち時間が長かったです。

診断内容はパニック障害ではありませんでした。

医師は「気のせい」、「運動不足」、「慣れなさい」と言いました。

半夏厚朴湯という漢方薬を処方され、飲み続けましたが効果はなし。

次の年も診察を受けてみたのですが、その頃はうつの兆候もありました。

しかし、医師は「うつではない」と診断。

そして、驚くほど矛盾した行動を見せます。

処方したお薬は、抗うつ薬(SSRI)だったのです。

僕はその心療内科に行くのをやめました。

30代半ばの苦しみ

内科の安定剤と吐き気止めに頼りながら生活していました。

会社には入らずに、自営業を継続する道を選びます。

既にフルタイム勤務に耐えられる身体ではなかったと思います。

この頃から物販と並行して、占いを出品し始めました。

好評を受けて、そこそこ売れ行きがよかったです。

しかし、1日何件もするのは無理でした。体調が持ちません。

パニック発作とうつの症状で苦しんだ時期です。

助けは内側にない

誰かに「助けてほしい」と思ったことはありますか?

僕は何度もあります。でも、助けは家庭内にはありませんでした。

病気のことを理解している家族はいません。

友人もこういった精神疾患は気のせいだと言うだけです。

人に頼ることを忘れかけていた2019年の春。市役所に相談しに行きました。

窓口の方はとても親切な対応で、よく話を聞いてくれました。

僕の体調が悪かった時期なので、専門病院を紹介して予約までしてくれたのです。

専門医との出会い

専門医は年配の女性でした。物腰柔らかでリラックスできる雰囲気があります。

自分が今困っていること、出ている症状、これらをすべて話せました。

先生の診断は「パニック障害」、「うつ」、「不安障害」でした。

僕のうつには波があるため、最初は様子見から始まりました。

希死念慮がひどい時期でしたが、「また、先生に会いたい」という目標のもと耐えたのです。

うつ病は双極性障害2型と診断名が変わりました。

市役所の担当者や先生の勧めで障碍者福祉手帳を取得しました。等級は3級です。

人との出会いは停滞していた運命を変えます。

人との出会いが新しい歩みの始まりになります。

今も通院を続けながら、日々を過ごしています。

常に新しい「出会い」と「何か」を探しながら……。

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