心魂の在処を探す(占術について)

あなたの死生観が変わるとき運命の歯車が動き出す!!「死後世界観編」先生は死後世界を信じない人

死後世界観編

死後の世界はない

みなさん、死後の世界を信じますか?

とある調査では、死後の世界を信じる人が大半を占めたという結果もあります。

その昔、先生に師事していた頃、何度も聞いた質問が死後世界観です。

先生の答えはシンプルで、「認識できる死後世界は一切ない」と言います。

まあ、当たり前と言えば当たり前ですよね。脳が機能停止してしまうんですから。

では、認識できない死後世界はあるのかと尋ねました。それは、あるそうです。

生き物はエネルギー体

呼び方はなんでもいいです。エネルギー、気、波動、魂など様々です。

肉体が滅びると、そのエネルギーだけが残ります。人が魂と呼んでいるものです。

この魂が外に飛び出すんですね。死んでもエネルギーは消えないことになります。

現代に当てはめると、量子脳理論に近いです。ただ、先生の考え方は少し違います。

先生の場合は、死後に意識は保てないと言います。

死後の意識

ぼくは体外離脱の経験者です。そのため、先生の意見には賛同できませんでした。

先生は認識可能な死後世界はないと言います。ぼくは認識可能な死後世界がある意見です。

師と弟子の見解の相違ですね。ここだけはお互いに意見を譲りませんでした。

ただ、無機質なエネルギーになるのなら、意識があるのはおかしいのかもしれません。

一つだけ言えることは、人間が想像で作り出した通りの「あの世」はないということです。

閻魔審判もない

様々な宗教で語られる死後の審判。仏教でもキリスト教でも同じような話があります。

先生はそういった死後の審判は一切ないのだと言います。すべての生命が同じです。

そもそも、どうして審判が必要なのでしょうか。そこで悪人を裁きにかけるため?

違います。生きている人を戒めるためです。我々への戒めとして語り継がれています。

悪いことをしたら、死んでから地獄に落ちると言い聞かせられているのです。

では、悪人は実際に裁かれて地獄に落ちているのかというと、その地獄がありません。

徳を積んだ修行僧が天国へ行くのかというと、その天国もないということです。

魂たちの行き先

結局、天国も地獄もなければ、我々は死後どこに行くのかです。

肉体が滅んだあと残ったエネルギーは、体外に放出されて空間を漂うことになります。

広大な宇宙空間に出ることになるかもしれません。なにせ距離が関係なくなるのですから。

いわゆる魂となった我々には、距離や時間や空間の概念がなくなります。

そう考えると、この宇宙空間にはうじゃうじゃと魂が漂っていそうですね。

一見、無駄に広過ぎる宇宙も、魂の住処だと考えるといいのかもしれません。

生まれ変わり

仏教で言う輪廻転生はあります。解き放たれたエネルギーが地上に舞い戻ります。

そして、胎内に宿って新しい生を受けるわけですが、未来に生まれるとは限りません。

遠い遠い過去に生まれ変わったり、今と変わらない時代に生まれ変わる場合もあります。

元々、人が魂と呼んでいるエネルギーは一つだけでした。我々は分身みたいなものですね。

分身である我々も魂をさらに分けています。「創造」と「経験」をさせるためです。

だから、自分の魂は自分だけのものではないんです。宇宙そのもの、誰かと自分のもの。

我々の行き先

こうして生き死にのサイクルを無数に繰り返して、我々はどこへ行くのかです。

先生もそこだけは、はっきりと答えを出していません。他の先人たちもそうだと思います。

よく言われているのが、最終的には元の一つに還るのだという説です。

つまり、我々がいるのは途方もなく長い流れの中、魂の旅のほんの通過地点です。

創造と経験

上に述べましたように、我々の魂は創造と経験を欲しています。

欲しているということは、創造と経験はすべて魂に記録されていると言えます。

あるいは、もっと別の場所に記録が蓄積されているのかもしれません。

ここで言う創造とは、何かを創り出すことです。思想や物を創り残すことですね。

経験はそのままの意味です。いろいろな事象を経験して、魂に記憶させます。

ということは、創造も経験もしなければ魂の成長がないのと同じです。

これらを忘れると、運命の歯車が回っていない可能性があります。

運気で言うところの停滞状態です。生きながら、死んでいるのと変わりません。

それが悪いというわけではないのです。善も悪も、良いも悪いもありません。

ただ、停まっていても、いつかどこかでやらなければならない時が来ます。

近い将来かもしれませんし、次に生まれ変わった時かもしれません。

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